■恩人
>「外交部对鸟山明去世表示哀悼」(外交部は鳥山明氏の死去に哀悼の意を表する)と有ったのでリンク先に飛んで、鳥山先生が亡くなっていたことを知りました。
ショックでした、、しばらく身動きが取れなくなりました。
仕事もしていましたが、同じことを何度も繰り返したり、少し前に何を描いていたか憶えていなかったりしたので、一旦、机から離れました。そのあと、日本のニュースサイトを見て詳しい情報を知りました。先生は1日に亡くなっていたのですね。葬儀や初七日を終えてから公表、、ということなのでしょう。
自分は中学に上がった頃、本気でアニメーターを目指し始めました。
その時、クラスでバカみたいに絵の上手いヤツがいて仲良くなりました。彼は特に鳥山明に心酔していて、
「将来は絵(漫画)を描いて生きていきたい」「鳥山先生のような絵が描けるようになりたい」と常々口にしていました。
その後、彼は大学へ行くために進学校へ、自分はアニメ研究部のある近所の高校(実際は漫画部でした)へと進学しました。卒業後は専門学校へ行き、いざ就職となった時、求人情報に「主な作品ドラゴンボール」と書かれたアニメスタジオがあり、そこを目指して就活をしました。
もう30年以上前になりますか、、初めて仕事として描かせてもらったのは「セル」の登場シーンでした。
泣くほど嬉しかったです。今も、最初に勉強した大爆発や殴り合い、建物が吹っ飛んだり強風が吹き荒れるようなシーンは得意とする分野です。 自分にとってドラゴンボールは絵や動きのイロハを教えてもらった貴重な作品になります。
日本の情報サイトで、野沢雅子さんのマネをしている芸人アイデンティティの田島さんが
>「ドラゴンボールに人生を救われた人がこの世にどれだけいるか分かりませんが、
> 自分も間違いなく現在進行形でそうです」
と発言していたことを知り、自分もまさにそうだ、、と思いました。
鳥山先生を師と仰いでいた同級生の彼が今なにをしているか分かりませんが、少なくとも自分と同じようにショックを受けていると思います。もしかしたら自分のことも思い出してくれているかもしれませんね。
でも、、叶わない世界となってしまいました。
それは非常に残念なことですが、今後も鳥山先生の残してくれた作品を愛していきたいと思います。
これまで素晴らしい作品の数々をありがとうございました。