2019年 08月 07日
■近藤喜文展
■『耳をすませば』監督 近藤喜文 ジブリ支えたアニメーターの展示が開催中
KAI-YOU
作画監督として『火垂るの墓』『魔女の宅急便』『もののけ姫』などを担当し、『耳をすませば』で監督をつとめたアニメーターの近藤喜文さん。
彼が手掛けたそれらの作品の原画、イメージボード、スケッチなど500点以上を一挙に公開する「近藤喜文展」が、三重県の三重県総合博物館で開催中だ。
展示は9月16日(月・祝)まで。休館日は毎週月曜日(8月12日と9月16日は開館)。平日は9時から17時まで、土日祝日は9時から19時まで開館している。
ジブリを支えたアニメーター
近藤喜文さんは新潟県五泉市生まれのアニメーター。
『ルパン三世』や『未来少年コナン』、『赤毛のアン』の制作に関わったのちにスタジオジブリに入社。
宮崎駿さんと高畑勲さんの両監督から信頼され、両者の作品で作画監督やキャラクターデザインなど作品の要になる重要な役割を担ってきた。
監督としては1995年に45歳で『耳をすませば』を担当。少女漫画を原作とした同作で大成功を収めるも、47歳で急逝。そのため同作が唯一の長編監督作品になっている。
ジブリ作品以外の貴重な資料も
本展のみどころは、近藤さんの駆け出しの頃から晩年までを概観できる展示にある。
アニメーターになりたての頃。宮崎駿さんと高畑勲さんとの出会いで新たな世界を切り開いた時期。そしてスタジオジブリ時代に入社し、ジブリを支える男と呼ばれる大活躍を見せる全盛期まで、その貴重な足跡を辿っていく。
また、企画だけで成立しなかった作品のラフスケッチやパイロットフィルムなどの貴重な資料も展示。日本屈指のアニメーターだった近藤さんの世界を、心ゆくまで楽しむことができる。
夏には「金曜ロードSHOW!」で放送されることも多い『耳をすませば』は、現在でも熱狂的ファンが存在する人気作。そんな名作を生み出した近藤さんの仕事の数々を、夏休みを利用して見に行こう。
2019.08.06 20:24 Yuuki Honda
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自分も喜文さんにお世話になったうちの1人です。 そうか、、気付けば自分も もう喜文さんと同じ年齢になっていましたね(^^;
いつもお茶を淹れていたのが印象的でした。 初めてお会いした時もスタジオの1階で お茶を淹れていて、自分を見ると「新人さん?」と声を掛けてくれました。その時はてっきり事務方の人だと思っていたのですが、後で現場のスタッフ紹介の時に「近藤です」と言われて驚きました。
「まさか、、さっきのお茶を淹れてたおじさんが!!」
温厚で人徳者。まさにそんな言葉がぴったりで、当時ペーペーだった自分にも 「何か判らないことがあったら何でも訊いてね」 と声を掛けて下さり、その言葉に甘えて動画の下描きを見て頂いた時は、何かこう、、他の人と違った紙のめくり方をされてたんですよね。 普通は一定の速度でパラパラ~と動画用紙をめくるのですが、喜文さんは緩急をつけて紙をパラパラしていました。
あとで他の動画マンから聞いたのですが、それは「タイムシート(絵の動きやセリフなどの書かれた指示書)に合わせてタイミングを変えながら紙をめくる神業」だったそうです。確かに絵の動きに違和感はありませんでした。というか、むしろスムーズに動いていたような気がします。
そんなことが出来る人がいるとは、、、と驚愕したのを憶えています。
訃報を聞いたのは、自分がアメリカネズミのD社による陰謀で香港に飛ばされている時でした。
あの時は異国の地で3日ほど落ち込みました。通訳さんに「どうしました?何か有りましたか?具合が悪いですか?」と訊かれても説明出来なかったので、ただただ落ち込むという、、。
あれからもう20年以上経ちました。 もし喜文さんが御存命なら今のジブリが少し違った形で動いていたかもしれません。それこそ新作が次々、、なんてことも有ったかもしれませんね。
とにかく残念です。
KAI-YOU
作画監督として『火垂るの墓』『魔女の宅急便』『もののけ姫』などを担当し、『耳をすませば』で監督をつとめたアニメーターの近藤喜文さん。
彼が手掛けたそれらの作品の原画、イメージボード、スケッチなど500点以上を一挙に公開する「近藤喜文展」が、三重県の三重県総合博物館で開催中だ。
展示は9月16日(月・祝)まで。休館日は毎週月曜日(8月12日と9月16日は開館)。平日は9時から17時まで、土日祝日は9時から19時まで開館している。
ジブリを支えたアニメーター
近藤喜文さんは新潟県五泉市生まれのアニメーター。
『ルパン三世』や『未来少年コナン』、『赤毛のアン』の制作に関わったのちにスタジオジブリに入社。
宮崎駿さんと高畑勲さんの両監督から信頼され、両者の作品で作画監督やキャラクターデザインなど作品の要になる重要な役割を担ってきた。
監督としては1995年に45歳で『耳をすませば』を担当。少女漫画を原作とした同作で大成功を収めるも、47歳で急逝。そのため同作が唯一の長編監督作品になっている。
ジブリ作品以外の貴重な資料も
本展のみどころは、近藤さんの駆け出しの頃から晩年までを概観できる展示にある。
アニメーターになりたての頃。宮崎駿さんと高畑勲さんとの出会いで新たな世界を切り開いた時期。そしてスタジオジブリ時代に入社し、ジブリを支える男と呼ばれる大活躍を見せる全盛期まで、その貴重な足跡を辿っていく。
また、企画だけで成立しなかった作品のラフスケッチやパイロットフィルムなどの貴重な資料も展示。日本屈指のアニメーターだった近藤さんの世界を、心ゆくまで楽しむことができる。
夏には「金曜ロードSHOW!」で放送されることも多い『耳をすませば』は、現在でも熱狂的ファンが存在する人気作。そんな名作を生み出した近藤さんの仕事の数々を、夏休みを利用して見に行こう。
2019.08.06 20:24 Yuuki Honda
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本当に素晴らしいアニメーターでした。 もし御存命なら、、、と何度思ったことか。
自分も喜文さんにお世話になったうちの1人です。 そうか、、気付けば自分も もう喜文さんと同じ年齢になっていましたね(^^;
「まさか、、さっきのお茶を淹れてたおじさんが!!」
と。 当然、顔は知らずとも名前は知っていましたから。
あとで他の動画マンから聞いたのですが、それは「タイムシート(絵の動きやセリフなどの書かれた指示書)に合わせてタイミングを変えながら紙をめくる神業」だったそうです。確かに絵の動きに違和感はありませんでした。というか、むしろスムーズに動いていたような気がします。
そんなことが出来る人がいるとは、、、と驚愕したのを憶えています。
訃報を聞いたのは、自分がアメリカネズミのD社による陰謀で香港に飛ばされている時でした。
あの時は異国の地で3日ほど落ち込みました。通訳さんに「どうしました?何か有りましたか?具合が悪いですか?」と訊かれても説明出来なかったので、ただただ落ち込むという、、。
あれからもう20年以上経ちました。 もし喜文さんが御存命なら今のジブリが少し違った形で動いていたかもしれません。それこそ新作が次々、、なんてことも有ったかもしれませんね。
とにかく残念です。
by champlus
| 2019-08-07 09:52
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